2009年11月30日月曜日

『何を構造主義として認めるか』 G・ドゥルーズ (河出書房新社) 第3の規準:微分と特異

音素そのものを、それが別の音素に結合される音素関係、たとえばb/pと切り離すことはできない。
(P69)

第3のタイプの関係は、いかなる確定した値ももたないが、関係のなかで相互に確定される要素の間に立てられる。ydy+xdx=0やdy/dx=x/yのような関係である。このような関係は記号的であり、対応する要素は微分的関係の内部に捕捉されている。dyはyとの関係においては全く不確定であり、dxもxとの関係においてはまったく不確定である。dyとdxには値も意義もない。しかしながら、関係dy/dxはまったく確定されており、2つの要素はこの関係のなかで、相互に確定されている。
(P70)

微分的関係の確定に対して、特異性が、すなわち、曲線や図形を特徴付ける特異点の分布が対応する(たとえば三角形は3つの特異点をもつ)。こうして、所与の言語に固有の音素的関係が確定されると、特異性が指定され、その近傍で言語の音声と意義が構成される。
(P71)

すべての構造は2つの面を示す。ひとつは、微分的関係のシステムであり、これによって記号要素は相互に確定される。もうひとつは、特異点のシステムであり、これは微分的関係に対応して、構造の空間を描き出す。
(P71)

記号要素は、当の領域のリアルな存在者と対象に受肉する。微分的関係は、存在者の間のリアルな関係に現実化する。特異性は、構造内の位置を同じ数だけあるが、位置を占めにやってくる存在者や対象に対して、想像的な役割や態度を配分する。
(P71)

いつでも、すべての場合において、記号要素とその関係が、それらを実現しにやって来る存在者と対象の本性を確定するし、他方では、特異性によって形成される位置の秩序が、位置を占める限りでの存在者の役割と態度と同時に確定する。
(P72)

ラカンの弟子、セルジュ・ルクレールが別の領域で示すところでは、無意識の記号要素が、必ずや身体の「リビドー的な運動」に関連し、構造の特異性を特定の位置で受肉させる。
(P73)

アルチュセールとその協力者によるマルクス主義の解釈を見てみよう。そこでは、何よりも、生産関係が微分的関係として確定されている。その関係は、リアルな人間や具体的個人の間に立てられるのではなく、始めは記号の値をもつ対象や行為者(生産対象、生産道具、労働力、直接労働者、非直接労働者、これらは所有と領有の関係に把捉される)の間に立てられる。このとき各生産様式は、関係の値に対応する特異性によって特徴付けられる。
(P73)

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